激動の1990年代を駆け抜けた後、2000年代に入ると光子氏がメディアの表舞台に登場する機会は激減しました。娘のりえ氏が舞台女優として不動の評価を獲得し、自身の生活や活動の拠点を自立させていくにつれ、ふたりの距離感にも変化が訪れます。一時期は米国サンディエゴへの逃避行や絶縁に近い状態が報じられたこともありましたが、歳月はふたりの間にあった鋭い角を少しずつ削り落としていきました。
光子氏の現在と死因の真相を巡っては、当時さまざまな憶測が飛び交いました。公式発表資料および当時の報道各社によると、光子氏は晩年に重い肝腫瘍を患い、静かに闘病生活を送っていました。長年の心労や不規則な芸能生活、飲酒習慣などが体に負担をかけていたと伝えられています。そして2014年9月23日未明、東京都内の自宅にて家族に見守られながら静かに息を引き取りました。享年65。早すぎる旅立ちでした。
母の逝去に際し、宮沢りえ氏が所属事務所を通じて発表した追悼コメントには、確執を乗り越えた者だけが辿り着ける真実の情愛が込められていました。
「最期まで生きることに誇りを持ち、美しく逝きました。母の娘に生まれて本当に幸せでした。生きる上で大切なことをたくさん教えてくれた母に、心から感謝しています」
かつて世間から「毒親」「強欲なプロデューサー」と激しく糾弾された光子氏でしたが、死の床にあった母の手を握り締めていたのは、他ならぬりえ氏でした。どれほど激しい衝突を繰り返しても、ふたりの根底にあった絆は決して断ち切られることはありませんでした。