土佐勤王党の歴史を語る上で欠かせないのが、坂本龍馬との関係です。二人は遠縁にあたり、幼少期からの旧知の仲でした。尊皇攘夷の志を共にして結党に参加した龍馬でしたが、武市が「土佐藩という枠組みを利用して一藩勤王を目指す」方針に固執したのに対し、龍馬は「藩の枠組みを捨てて日本全体、さらには海外へ視野を広げるべき」と考え、文久2年(1862年)に脱藩を決意します。手法こそ分かたれたものの、互いの才能を認め合い、生涯にわたって敬意を抱き続けていたことが書簡などからも窺えます。
一方で、最も悲劇的な結末を迎えたのが岡田以蔵との関係です。剣の才に恵まれながらも身分が低く貧しかった以蔵を、武市は道場の弟分として可愛がり、やがて京都での要人暗殺(天誅)を実行する刺客として重用しました。しかし勤王党が瓦解すると、捕縛された以蔵は過酷な拷問に耐えかねて暗殺事件の全貌を自白。獄中の武市は連座の拡大を恐れて冷徹な態度を取り、以蔵への毒殺を試みたという記録も残されています。情と冷徹な政治判断の間で引き裂かれた二人の関係は、幕末の陰湿な闇を象徴するドラマとして語り継がれています。