ガダルカナル島における敗因の真相は、戦術・戦略の両面における「補給(ロジスティクス)の軽視」と「情報戦の敗北」に集約されます。
日本軍指導部は、緒戦の連勝から米軍の反撃能力を低く見積もり、ジャングル戦における消耗の激しさを想定していませんでした。また、陸軍と海軍の連携不足も深刻で、海軍が制海権を失いつつある状況下でも、陸軍は作戦計画の修正を迅速に行えませんでした。「大和魂」を信奉する精神主義が先行し、物量を背景とした近代戦の冷徹な現実に目を背けた結果が生んだ人災ともいえます。
戦局の泥沼化を受け、大本営は1942年12月31日の御前会議において、ついにガダルカナル島からの撤退を正式決定しました。この撤退作戦は「ケ号作戦」と名付けられます。
ケ号作戦における撤退理由は明白でした。これ以上の部隊駐留は全滅を意味し、南太平洋戦線全体の崩壊を招く限界点に達していたためです。1943年2月上旬、海軍駆逐艦部隊の神速の夜間突入作戦により、3回に分けて実施された救出劇によって、約1万2,000人の将兵が奇跡的に島を脱出しました。しかし、救出された兵士たちの体は骨と皮ばかりに痩せ細り、多くが自力で歩行できない状態でした。