この2つの蕎麦が分岐した原点を辿るには、江戸時代における誕生の経緯を知る必要があります。江戸初期、蕎麦は茹で上げた麺をつゆに浸して食べる「つけ蕎麦」の形態が一般的でした。しかし、元禄年間を過ぎると、せっかちな江戸っ子の気質に合わせて、丼に盛った蕎麦につゆを直接ぶっかける「ぶっかけそば」が大流行します。
この「ぶっかけ」と区別するために、従来の皿や蒸籠(せいろ)に麺を盛り上げて出すスタイルに対して「もり(盛り)そば」という呼び名が定着しました。つまり、もともとは「もりそば」こそが冷たいつけ蕎麦の標準形だったのです。
転機が訪れたのは宝暦年間(1751〜1764年)のことでした。江戸・深川洲崎(現在の東京都江東区)にあった蕎麦屋、発祥の店「伊勢屋」の歴史において、店主が「他店と同じもりそばを出していても埋没してしまう」と一計を案じます。そこで、蕎麦を皿ではなく涼しげな「竹ざる」に盛り、つゆにも高価なみりんを加えて差別化を図った新商品を開発しました。これが「ざるそば」の誕生です。
竹ざるや蒸籠など器の違いには、単なる見た目の涼感だけでなく、極めて合理的な機能美が備わっていました。竹ざるの網目は余分な水分を自然に切り落とし、蕎麦が水気でふやけるのを防ぎます。最後まで麺のコシと舌触りを損なわずに味わえるこの工夫は瞬く間に江戸市中で評判を呼び、伊勢屋のざるそばは大ヒットを記録しました。他店もこぞって追随し、「ざるそば=ワンランク上の贅沢な蕎麦」という不動のブランド価値が確立されたのです。