名門と称された都立千歳高校の閉校理由の根底には、1990年代後半から東京都教育委員会が強力に推し進めた「都立高校改革推進計画」が存在します。昭和後期から平成初期にかけて、首都圏では少子化が急速に進行すると同時に、中学受験熱の高まりによって私立中高一貫校へ成績上位層が大量に流出していました。都立高校全体が構造的な志願者減少と地盤沈下に直面するなか、都教委は小規模化した既存校の整理統合と、新たな魅力を持つ新構想校の設置へと舵を切ったのです。
当時、世田谷エリアにおいても公立校の再編は避けて通れない最重要課題でした。そこで白羽の矢が立ったのが、伝統と高い進学実績を誇る千歳高校と、同じ世田谷区内に位置し特色ある教育を模索していた東京都立明正高等学校でした。単なる統廃合ではなく、双方の強みを融合させた「全日制単位制普通科高校」という都内でも先駆的な実験校を立ち上げる構想が浮上したのです。
東京都の公式発表資料および当時の統廃合答申によると、両校の歴史を発展的に継承し、生徒一人ひとりの進路希望に応じた多様な科目選択が可能な学校として企図されたのが、2003年4月に開校した東京都立芦花高等学校でした。千歳高校の閉校は、単なる生徒不足による一方的な淘汰ではなく、都立高校全体の復権を賭けた構造改革のモデルケースとしての「発展的統合」という性格を強く帯びていました。
しかし、名門校の名称が消滅することに対して、当時の在校生や保護者、OB組織からは激しい惜別の声と存続運動が巻き起こりました。当時の取材記録や同窓会関係者の証言によると、「府立十二中以来の看板を下ろすことへの抵抗感は極めて根強かった」と振り返られています。地域に根づいた名門ブランドの幕引きは、関係者に深い感傷を残しながらも、時代の要請という冷徹な教育行政の波に飲み込まれる形で断行されたのです。