上杉謙信の死因の真相|厠での急死と脳卒中説・信長暗殺の噂を検証

上杉謙信の死因の真相|厠での急死と脳卒中説・信長暗殺の噂を検証

上杉謙信の死因の真相|厠での急死と脳卒中説・信長暗殺の噂を検証の全貌を詳しく解説してご紹介します。

謙信が倒れたのは、関東あるいは上洛に向けた大遠征軍の動員を完了させ、出陣を3日後に控えた天正6年3月9日の朝でした。本拠地である越後・春日山城(現在の新潟県上越市)において、身辺を整えるために厠へ入った直後、突然の意識障害と虚脱状態に襲われます。

当時の記録である『上杉家記』や近臣の手記には、「厠にて御気絶」「大虫(脳卒中や急病を指す古語)の気ありて昏睡す」といった生々しい様子が記されています。家臣たちが異変に気づいて駆けつけた時、すでに謙信は自力で立ち上がることができず、言葉を発することも不可能な状態(失語症および片麻痺)に陥っていました。

寝所へと運び込まれ、懸命の祈祷や手当てが行われたものの意識が回復することはなく、倒れてから4日後の天正6年3月13日未の刻(午後2時頃)に息を引き取りました。戦国随一の戦術家が、敵陣ではなく城内の片隅で突如として命を落とした事実は、家臣団に計り知れない混乱と後継者争い(御館の乱)をもたらす発端となったのです。

謙信が遺したとされる二つの有名な辞世の句には、人生の無常さと武将としての矜持が克明に刻み込まれています。

「四十九年一睡の夢 一期栄華一盃の酒」
(49年の生涯は一眠りの夢のようであり、生涯の栄華も一杯の酒に過ぎない)

「極楽も 地獄も先は有明の 月の心に懸かる雲なし」
(極楽へ行こうと地獄へ行こうと、旅立つ心は明け方の月のように一点の曇りもない)

この詩句からも伝わる通り、謙信の生涯において「酒」は精神の支柱であると同時に、皮肉にもその命を縮める最大の要因となっていたことがうかがえます。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。