ネット上の言説や一般的なオカルト解説では、「ラパ・ヌイの人々は森を破壊して共倒れになり、ヨーロッパ人が到達したときには滅亡寸前の原始生活を送っていた」と語られがちです。しかし、歴史公文書や一次記録を精査すると、この認識は深刻な偏見を孕んでいることが浮き彫りになります。
1722年、オランダ海軍提督ヤーコプ・ロッヘフェーンがイースター島に上陸した際、航海日誌には「島民たちは整然と耕作地を管理し、サツマイモやサトウキビ、バナナを栽培して健康に暮らしていた」と記録されています。彼らは森を失った後も絶望して共食いを始めたわけではなく、「リシック・マルチェ(石囲い農法)」と呼ばれる独自の知恵を開発していました。島中に転がる火山岩で土壌を覆うことで、吹き付ける強風から作物を守り、地中の水分蒸発を防ぎながらミネラルを補給する高度な持続可能農業を確立していたのです。
ラパ・ヌイ社会に決定的な壊滅をもたらしたのは、1862年以降に激化したペルー人による悪名高き奴隷狩りでした。成人男性を中心に当時の人口の約3分の1にあたる1,500人以上が連行され、生き残りが島へ戻った際には持ち込まれた天然痘や結核が猛威を振るいました。1877年の統計記録によると、島の先住民族人口はわずか111人にまで激減。文字体系「ロンゴロンゴ」を読める知識層や祭司階級が全滅したことで、彼らの高度な歴史記録や文化伝承が永遠に断絶してしまったのが真相です。