かつて「聖地」という呼称は、国立霞ヶ丘競技場(旧国立競技場)がサッカー日本代表の国際試合や全国高校サッカー選手権、日本陸上競技選手権大会など、アスリートの夢が交差するスポーツ専用の殿堂であったことに由来する。コンサート会場としての門戸は極めて狭く、1985年の美空ひばり(座席を解放しないトラック上イベント)などの例外を除けば、1990年代までロックフェスティバルや単独公演は実質的に許可されていなかった。
その扉をこじ開けたのは2005年のSMAP、そして2007年のDREAMS COME TRUEであったが、いずれも単発や数回限りの開催にとどまっていた。周辺が明治神宮外苑の閑静な住宅街や文教地区に囲まれていることから、音響による騒音問題、照明の漏れ、何より天然芝の養生管理に対する日本スポーツ振興センター(JSC)の審査基準は極めて過酷であり、「年間原則1組のみ」という暗黙の鉄則が敷かれていたためである。
その鉄則を打ち破り、2008年の『arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008』から2013年の『アラフェス'13』まで、前人未到の6年連続・通算15公演を成し遂げたのが嵐であった。演出を手掛ける松本潤は、芝生に負荷をかけないフロアシートの敷設技術や、近隣住民への音響シミュレーションを徹底。さらにオープンエアの天候を逆手に取り、噴水、炎、風船、そしてクライマックスの打ち上げ花火を神宮の夜空と完全にシンクロさせる演出手法を確立した。
夕空のグラデーションとともに楽曲の世界観が変化し、最終的に7万人の歓声が夜空へ溶けていく——このスタジアムでしか味わえない祝祭の体験が、アーティストとファンの双方にとって特別な記憶となり、いつしか国立競技場は「嵐の聖地」として定着していったのである。