優勝回数という冷徹な数字の裏には、常人には計り知れない極限の精神的重圧が隠されています。報道関係者の取材メモや力士自身の自著・手記を紐解くと、記録に挑む過程で横綱たちが直面した凄まじい孤独と葛藤が浮かび上がってきます。
昭和の大横綱・千代の富士は、平成3年夏場所の初日に若花田(後の若乃花)に敗れ、3日目に貴花田(後の貴乃花)に敗れた直後、引退を表明しました。当時の記者会見で絞り出すように語った「体力の限界…気力もなくなり、引退することになりました」という言葉は日本中に衝撃を与えました。後に発刊された手記のなかで、千代の富士は「肩の脱臼癖を克服するために筋肉の鎧をまとったが、最後は自分の相撲を取り切るだけの気力が擦り切れていた」と吐露しています。勝ち続けることが義務付けられた横綱という地位は、勝利の美酒以上に精神の摩耗を強いる過酷な場なのです。
平成を牽引した貴乃花も同様でした。父である元大関・貴ノ花から相撲の英才教育を受け、若貴ブームの渦中で国民的熱狂を背負い続けた彼は、土俵上で一切の笑みを封印し「鬼の形相」を貫きました。特番インタビューや関係者の証言によると、貴乃花は「土俵に上がるときは、親兄弟であっても敵と見なす孤独な覚悟がなければ務まらなかった」と振り返っています。平成13年夏場所、右膝の半月板を断裂する重傷を負いながら強行出場し、武蔵丸を破って賜杯を抱いた伝説の一戦は、その精神的覚悟が肉体の限界を超越した象徴的な出来事でした。
SNSやファンのコミュニティでは、「白鵬は強すぎて相撲が面白くなくなった」「立ち合いの駆け引きに賛否がある」といった厳しい意見が寄せられることも少なくありませんでした。しかし、45回もの頂点に立った白鵬自身もまた、異国の地から単身来日し、横綱の品格を巡るプレッシャーと闘い続けた孤独な勝負師でした。土俵上で見せる隙のない眼光は、少しでも弱みを見せれば足元をすくわれる勝負の世界で、自己を防衛するための防壁でもあったのです。