結成当初から、創業者である故・ジャニー喜多川氏と交わした「海外で活躍するグループになる」という約束は、メンバーにとって最大の原動力であり、活動の根幹をなすものだった。特に平野紫耀を中心に、海外市場を見据えたダンスパフォーマンスの強化や楽曲制作へのこだわりは年々増していた。
しかし、国内市場で圧倒的な売上と認知度を誇る巨大グループになればなるほど、事務所側が求めるスケジュールは国内でのバラエティ番組出演、テレビドラマ主演、各種CMや雑誌の露出で埋め尽くされていく。世界基準のトレーニングや海外プロデューサーとの連携に割り当てる時間は物理的に削られていった。「海外を目指すには年齢的にもう遅いかもしれない」という焦燥感が、彼らの内部で日増しに膨らんでいったことは想像に難くない。