眩いばかりのスターダムを駆け上がった彼女ですが、島倉千代子の生い立ちは決して平坦なものではありませんでした。1938年(昭和13年)、東京・北品川の警察官の家庭に生まれた彼女を、激動の太平洋戦争と過酷なアクシデントが襲います。
戦禍を避けるため長野県松本市へ疎開していた幼少期の7歳の折、小川で洗い物をしていた際に割れた瓶のガラス片で左手首の動脈と神経を断ち切る大怪我を負いました。当時の戦時医療体制下では、医師から「左腕切断やむなし」と宣告されるほどの絶望的な重傷でした。しかし、「女の子の腕を切り落とすことなど絶対にできない」と母・ナカが狂乱状態で懇願し、腕の切断こそ免れたものの、左手には握力を失う重い後遺症が残ることになります。
傷跡を恥じらい、内気で心を閉ざしがちになった幼い千代子を励ますため、母は「歌をお歌い」と童謡を教え、左手のリハビリを兼ねてオルガンを買い与えました。母の手拍子に合わせて歌うことこそが、千代子にとって唯一の世界との接点であり、自己表現の場所となったのです。母の一途な愛と、自らの身体的ハンディキャップを乗り越えようとした原体験が、のちに人々の琴線を激しく揺さぶる「哀愁の歌声」の母胎となりました。