司忍氏のパワーの源泉となったのが、自身が創設に携わった「弘道会」である。名古屋を本拠地とする同会は、他の暴力団組織とは一線を画す独自の運用方針で知られていた。徹底した秘密主義、捜査機関に対する無言の抵抗、そして強固な財務基盤。警察庁はこの弘道会の台頭を最大級の脅威とみなし、「弘道会壊滅作戦」と称する前例のない徹底排除策を打ち出すこととなる。
警察庁と六代目山口組との間で繰り広げられた攻防は、法改正や暴排条例の全国的な整備へと波及した。司忍氏の銃刀法違反罪での収監と出所、その後の厳重な監視体制下においても、組織内部における彼の絶対的な影響力は衰えることがなかった。権力構造の頂点に位置する人物の動向が、国家の警察行政や治安政策そのものを大きく塗り替えていったのである。