新聞で覇権を握った正力が次に見据えたのは、まだ見ぬ新メディア「テレビ」であった。1953年、日本初の民間放送局として日本テレビ放送網を開局させた彼は、前代未聞の奇策に出る。それが、主要駅や繁華街に受像機を設置する「街頭テレビ」作戦だった。
まだ高嶺の花だったテレビ受像機に、何万人もの人々が群がり、力道山のプロレス中継や巨人のナイターに熱狂した。街頭にテレビを置くことで視聴者を育て、家庭への普及を一気に加速させる――。この圧倒的な推進力によって、読売新聞グループ本社を中核とする巨大メディアコングロマリットの基礎が完成した。電波という目に見えない公共財を支配した正力の影響力は、もはや一民間企業の枠を完全に逸脱していた。