歌舞伎界における二代目中村獅童の歩みは、決して平坦なエリートコースではありませんでした。ここに、錦之介との関係を読み解く最大のドラマがあります。
父である初代中村獅童(小川三喜雄)は、昭和の早い段階で役者を廃業し、東映のプロデューサーや実業家へと転身していました。歌舞伎界は厳格な徒弟社会であり、父親が現役の幹部俳優として座頭を張っていなければ、大役や良い役柄が回ってくることはまずありません。つまり、二代目獅童は「名門・小川家の直系でありながら、歌舞伎座の楽屋では後ろ盾がない」という、極めて過酷な条件下でキャリアをスタートさせたのです。
昭和56年(1981年)、8歳で祖母らの勧めにより「二代目中村獅童」を名乗り初舞台を踏んだものの、思春期以降は役がつかず、舞台の端で行灯を持つような下積み生活が長く続きました。周囲の御曹司たちが次々と大役に抜擢されるなか、獅童は自らの力で活路を見出すべく、一般の映画オーディションに挑戦。2002年の映画『ピンポン』のドラゴン役で強烈なインパクトを残し、映画界の各新人賞を総なめにしました。
この「外の世界での大成功」を引っ提げて歌舞伎の舞台へ舞い戻り、実力で主要な役を捥ぎ取っていった姿は、かつて映画界の頂点を極めて歌舞伎界に凱旋した叔父・萬屋錦之介の軌跡と見事に呼応しています。現在の中村獅童は、萬屋一門において独自の存在感を放つトップランナーとなり、2024年には長男の初代中村陽喜、次男の初代中村夏幹の初舞台・襲名披露を成功させ、萬屋の新たな歴史を力強く前進させています。