マイケル死の2日前、現場の異変と真実|最終リハの輝きと急逝の闇

マイケル死の2日前、現場の異変と真実|最終リハの輝きと急逝の闇

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死の2日前の熱狂から一転、自宅へと戻ったマイケルを待っていたのは、深刻を極める不眠の苦痛でした。死の前夜である6月24日深夜まで行われたリハーサルを終え、マイケルがロサンゼルス・ホルムビーヒルズの豪邸に帰宅したのは6月25日の午前1時過ぎのことです。ここからマイケルジャクソン急逝当日のタイムラインは、取り返しのつかない悲劇へと突き進んでいきます。

当時の裁判資料およびロサンゼルス郡検死局の発表に基づき、未明から搬送までの緊迫した経緯を辿ると、主治医コンラッド・マーレーの異常な処置実態が浮かび上がります。

マイケルはツアーへの重圧から極度の睡眠障害に悩まされており、マーレー医師に対して眠りにつくための薬を激しく求めました。マーレー医師は午前1時30分頃から数時間にわたり、ジアゼパム(バリウム)、ロラゼパム(アティバン)、ミダゾラム(ベルセド)といった強力な中枢神経抑制剤・睡眠導入剤を立て続けに静脈注射で投与しました。しかし、極度の緊張状態にあったマイケルは一睡もできず、午前10時を過ぎた頃、自ら「ミルク」と呼んでいた強力な麻酔薬を懇願したとされます。

午前10時40分、マーレー医師は手術時の全身麻酔に用いられるプロポフォール25ミリグラムを点滴に混入して投与しました。本来、心電図や血中酸素飽和度を監視するモニター機器、人工呼吸器などの蘇生設備が整った手術室でしか使用が許されない薬剤を、何ら設備の整っていない個人邸宅の寝室で投与したのです。さらに決定的な過失となったのが、マイケルが意識を失った後、マーレー医師が寝室を離れ、私信の電話や電子メールの送受信に没頭していた点です。

午前11時頃に寝室へ戻ったマーレー医師は、マイケルの呼吸が停止し、脈拍が微弱になっているのを発見しました。しかし、適切な心肺蘇生法を行わず、救急通報(911番)を行ったのは発見から大幅に遅れた午後12時21分のことでした。駆けつけた救急隊員が到着した午後12時26分の時点で、マイケルの瞳孔は散大し、心電図はフラットな状態を示していました。午後2時26分、搬送先のロナルド・レーガンUCLA医療センターで死亡が正式に宣告されました。

公表されたマイケルジャクソン解剖結果では、直接の死因は「急性プロポフォール中毒」と断定され、複数のベンゾジアゼピン系薬剤との相互作用による呼吸抑制が引き金となったと結論づけられました。死因分類は事故死ではなく「他殺(Homicide)」と認定され、2011年の刑事裁判においてマーレー医師には過失致死罪で有罪判決(禁錮4年)が下されています。これが医学的・司法的に確定したマイケルジャクソン死因真相の全貌です。

清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。