現実の司法では事実上「死文化」に近い状態にある外患誘致罪ですが、ネット空間においては全く正反対の現象が起きています。ネット掲示板やSNSでは、特定の政治家、官僚、ジャーナリスト、法曹関係者を攻撃するための「最強のレッテル」として、この言葉が消費され続けているのです。
その歪んだ熱狂が最悪の形で現実社会に噴出したのが、2017年から2018年にかけて発生した「弁護士大量懲戒請求事件」でした。
発端となったのは、「余命三年時事日記」と称する匿名のネット右派ブログでした。同ブログは、朝鮮学校への補助金交付を求める声明などを出した各地の弁護士会に対し、「補助金支給の容認は外患誘致罪に該当する」「彼らは反日勢力であり、懲戒請求書を送りつけることで処罰できる」と読者を扇動。ブログ上で懲戒請求書のひな型を配布し、印刷して弁護士会に郵送するよう呼びかけました。
この呼びかけに呼応した数百人規模の一般市民が、対象となった弁護士たちに対し、合計で数万件に及ぶ懲戒請求書を殺到させたのです。請求書の中には、明確に「外患誘致罪に該当する凶悪な行為」といった文言が並んでいました。
しかし、弁護士会側は当然ながらこれを「懲戒の事由に当たらない」として却下。それどころか、根拠のない中傷と業務妨害を受けた被害弁護士たちが立ち上がり、懲戒請求を行った一般人たちを相手取って不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を全国で一斉に提訴しました。
裁判の結果はどうなったか。各地の地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所はいずれも、「客観的事実に基づかない違法な懲戒請求であり、弁護士の名誉と業務の平穏を著しく侵害した」として、請求者たちに対して1人あたり数十万円から数百万円の賠償命令を下しました。扇動ブログを信じ込み、「正義の鉄槌を下している」と信託していた会社員や主婦、年金生活者たちが、突然数百万単位の賠償金支払いや銀行口座の差し押さえに直面するという悲惨な結末を迎えたのです。
同様の現象は、検察庁への「外患誘致罪の告発状」を巡る騒動でも繰り返されています。ネット上で賛同者を募り、現職の首相や野党議員、知事などを「外患誘致罪で刑事告発した」と胸を張る運動が時折話題になります。しかし、検察側は構成要件に該当しないことが明白な書類を正式な告発事件として受理することはありません。実務上は「返戻(不受理として送り返す)」されるか、単なる情報提供(投書)として扱われて終わります。「告発状を提出した」という行為自体がネット上で拡散され、一時的な承認欲求を満たすコンテンツとして消費されているに過ぎないのです。
【プロの結論】エコーチェンバーと過剰な正義感が生む法的破滅の教訓
なぜ人々は、これほど現実離れした「外患誘致罪」という言葉に引き寄せられ、自らの人生を危険に晒してまで暴走してしまうのでしょうか。社会心理学および情報社会論の視座からこの現象を解剖すると、2つの深刻な病理が浮かび上がります。
第1に、「エコーチェンバー現象(反響室効果)」と確証バイアスの罠です。SNSやアルゴリズム主導のプラットフォームでは、自分の好む政治的主張や過激な言説ばかりがタイムラインを埋め尽くします。閉ざされた情報環境に長期間浸ることで、「世間の大半も自分たちと同じ怒りを共有している」「敵対する政治勢力は国家を売る犯罪者集団だ」という極端な認知の歪みが増幅されます。その結果、「外患誘致罪で全員死刑にできる」という法外な論理すら、あたかも正当な法的救済策であるかのように誤認してしまうのです。
第2に、「道徳的優位性に裏打ちされた過剰な処罰欲求」です。人間は「自分は国や社会を守る崇高な正義の側に立っている」と確信した瞬間、他者を攻撃することに対する罪悪感を完全に麻痺させます。最も重い罪である外患誘致罪を振りかざす行為は、自分自身の正義を最大限に誇示するための心理的免罪符として機能してしまいます。
法治国家における「刑罰」は、私憤を晴らしたり政治的政敵を殲滅したりするための道具ではありません。厳密な証拠と構成要件に基づき、国家権力の暴走を防ぐために慎重に設計された安全装置です。ネット上の扇動や「法解釈ごっこ」を鵜呑みにし、他者を犯罪者呼ばわりして公的機関を巻き込む行為は、最終的に名誉毀損や不法行為として自分自身の社会生活や経済基盤を粉砕するブーメランとなって跳ね返ってきます。情報が過激化しやすい現代だからこそ、感情的な言論から一歩距離を置き、客観的な法理を冷静に見極めるリテラシーが何よりも求められています。