怪僧ラスプーチンの正体と暗殺の真相|ロマノフ王朝崩壊の闇を暴く

怪僧ラスプーチンの正体と暗殺の真相|ロマノフ王朝崩壊の闇を暴く

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通称「怪僧」として歴史に名を刻むグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンですが、歴史的事実として彼はロシア正教会の正式な聖職者(僧侶や司祭)になったことは一度もありません。1869年、シベリア西部のトボリスク県ポクロフスコエ村の貧しい農家に生まれたラスプーチンは、若年期は粗暴な振る舞いや馬泥棒の嫌疑をかけられるなど、典型的な素行不良の農民として青年期を過ごしました。

転機が訪れたのは20代後半のことです。突如として信仰に目覚めた彼は村を出て各地の修道院を巡礼し、シベリアからギリシャのアトス山、エルサレムにまで及ぶ長旅を通じて「ストランニク(巡礼の行者)」としての神秘的な雰囲気を身につけていきました。当時の一部異端派(自己鞭打によって罪を自覚し神の恩寵を得ようとする鞭身派など)の影響を受けたと噂されつつも、農民特有の野性味あふれる風貌と、人の心を鷲掴みにするような鋭く力強い眼光、そして独特の宗教的カリスマ性を磨き上げていったのです。

1903年、サロフで行われた聖セラフィムの列聖式に出席したラスプーチンは、シベリア全土に鳴り響いていた評判を足がかりに帝国の首都サンクトペテルブルクへと足を踏み入れます。当時の首都貴族社会では、近代化の不安や社会不安の反動から、東洋的神秘主義や心霊術、民間の「聖なる狂人(ユロードジヴィ)」を尊ぶ風潮が蔓延していました。教会上層部の有力者たちにその資質を見出されたラスプーチンは瞬く間にサロンの寵児となり、1905年11月、運命に導かれるようにして皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后への謁見を果たすことになります。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。