大日本帝国の国旗がどのように法制化されたのかを検証すると、意外にも明治憲法(大日本帝国憲法)の条文内に「国旗」の規定は存在しませんでした。近代国家としての国旗制定は、憲法発布よりも約20年早い公文書に端を発しています。
決定的な契機となったのが、1870年(明治3年)1月27日に公布された太政官布告第57号「商船規則」です。開国間もない日本は、外国船との衝突を防ぎ、海上で自国の船舶を明確に識別させる国際的義務に直面していました。同規則において「白地に赤丸」の規格(縦横比7対10、日章直径は縦の5分の3、旗の中心から旗竿側に100分の1偏心)が定められ、これが実質的な国旗の初出法定となりました。さらに同年10月には太政官布告第651号「海軍御旗章国旗章並諸旗章」が布告され、軍事・外交の場における標識が体系化されていきます。
明治維新期から昭和の終戦に至るまで、帝国議会で単独の「国旗法」が成立することはありませんでした。しかし、太政官布告第57号が効力を持ち続け、最高裁判所の判例や慣習法上も日章旗が唯一の「日本の国旗」として扱われていた事実に揺るぎはありません。敗戦後の占領期(GHQ統治下)における掲揚制限の解除を経て、1999年(平成11年)8月に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)」によって、日章旗は129年ぶりに成文法上の国旗として再定義されました。国旗国歌法制定の際にも、内閣法制局および歴代政権は「太政官布告以来の慣習を追認・成文化したもの」と答弁しており、明治の制定から現在まで国旗としての連続性は完全に保たれています。