Q1:清洲同盟は本当に裏切りのない完璧な同盟だったのですか?
A1:一度も同盟が破棄されなかった点では事実ですが、常に一枚岩だったわけではありません。武田信玄が西上作戦(三方ヶ原の戦い)を開始した際、信長の援軍が少数だったことに家康が激しい不満を漏らした書状が残っています。危機的な局面を乗り越えるたびに政治的妥協と交渉を重ねることで、破綻を防ぎ続けたのが実態です。
Q2:信長は本当に信康の切腹を強要したのではないのですか?
A2:近年の研究では、信長による強要説は否定されつつあります。一次史料において信長が切腹を命じた記述はなく、徳川家中における岡崎派(信康・築山殿派)と浜松派(家康直属派)の権力闘争と方針対立が主因と判明しています。家康が自身のリーダーシップを確立し、武田方への寝返りを防ぐために決断した家中統制事件でした。
Q3:家康は本心では信長を恐れていたのでしょうか、それとも尊敬していたのでしょうか?
A3:双方の感情が併存していたと考えられます。信長の苛烈な決断力と軍事力に対して強い警戒感を抱いていたことは確かですが、安土城での歓待や信長が構築した流通・法制度など、その先見性を高く評価していました。信長の死後、家康が織田政権の統治機構や軍制を貪欲に吸収し、江戸幕府の基礎へと昇華させた事実がそれを証明しています。