現代のように手厚い妊婦健診や産前産後休業が存在しなかった大正時代、一般庶民の妊婦生活は過酷を極めました。特に農繁期の農村部では、臨月間近であっても田畑に出て農作業をこなし、水汲みや薪割りといった重労働を強いられることが珍しくありませんでした。妊娠中の安静や十分な休養は、特権階級にしか許されない贅沢だったのです。
出産後の母体の回復を指す「肥立ち(ひだち)」についても、迷信や古いしきたりが根強く影響していました。産褥期の女性は「血の穢れ(けがれ)」があるとして、家族とは別の納屋や薄暗い一室に隔離される「産小屋」の風習が一部地方に色濃く残っていました。また、「産後すぐに頭を洗ってはいけない」「産後3週間は目を使ってはならない」といった身体保護のための言い伝えが守られる一方で、十分な栄養補給ができないまま早期の家事復帰を迫られる女性も多く存在しました。
そうした過酷な環境だからこそ、無事に節目を迎えるための「産育習俗」は極めて重要視されました。生後7日目を祝う「お七夜(おしちや)」や生後30日前後の「お宮参り」は、単なる儀礼ではなく、「ここまで生き延びてくれた」という家族の切実な祈りと歓喜の儀式でした。近隣住民に赤飯や餅を配る出産祝いの風習は、地域全体で新しい命を見守り、過酷な育児を支え合うための相互扶助システムとして機能していたのです。