猪木が残した最大の功績の一つは、北朝鮮の最高指導部へのダイレクトなアクセス権を得たことだ。当時の最高指導者・金正日総書記や幹部陣との面会を重ねる中で、猪木は単なる訪朝タレントではなく「パイプ役」としての重量感を増していった。政府間交渉が完全に途絶えた局面でも、猪木は平壌に飛び、現地で最高幹部と会談を行った。
日本国内では「北朝鮮に利用されているだけだ」「二重外交だ」との猛バッシングが絶えなかった。しかし、日本人拉致問題や核開発問題で緊張が高まる中、猪木を通じてしか得られない現地情勢の生情報が存在したことも事実だ。自らの政党「スポーツ平和党」の旗を掲げ、政界のタブーに正面から突っ込んだ猪木の行動力は、外交の教科書をあざ笑うかのような迫力を持っていた。