事件の影響は現場の担当者だけに留まらなかった。経営陣のトップに座っていた阿部俊則社長(当時)と、会長であった和田勝則氏との間で、事件の責任所在を巡る熾烈な社内抗争が勃発した。
調査委員会がまとめ上げた報告書には、経営トップの牽制機能不全や忖度の構図が厳しく指摘されていた。和田会長は阿部社長の解任を策謀したものの、取締役会での逆クーデターにより、逆に和田氏が退任に追い込まれるという異例の事態に発展。事件の責任を特定現場の担当者や一部の役員へ押し付けようとする権力劇の陰で、組織の内部崩壊は極限に達していた。