八ッ場ダムの計画が産声を上げたのは、カスリーン台風による甚大な水害被害を受けた直後の1952年(昭和27年)に遡ります。利根川水系の治水と首都圏への利水を掲げてスタートした国家プロジェクトでしたが、現地住民にとっては先祖代々の土地や名湯・川原湯温泉が水没することを意味していました。長期にわたる反対闘争、住民同士の分断、補償交渉の難航を経て、ようやく生活再建策がまとまりつつあった矢先、激震が走ります。
それが2009年の政権交代直後に起きた、民主党政権の前原誠司国土交通大臣による「八ッ場ダム建設中止」の電撃発表でした。「コンクリートから人へ」の象徴としてマニフェストに掲げられた八ッ場ダムの中止理由は、公共事業のムダ削減と政策決定プロセスの刷新でした。しかし、この一方的な表明は、苦渋の決断を重ねて代替地移転を受け入れてきた地元住民の尊厳を激しく揺さぶり、関係自治体の強い反発を招くことになります。
当時の報道や住民の手記には、「国に散々振り回され、コミュニティを引き裂かれた挙句、梯子を外された」という悲痛な叫びが克明に記録されています。その後、検証作業を経て2011年に事業継続が正式決定。着工から完成に至るまでの八ッ場ダムの総工費は約5,320億円という巨額に達し、計画浮上から完成までおよそ68年という気の遠くなるような歳月を要しました。