中村獅童の幼少期と名門の苦難|母・陽子さんと歩んだ下積み真相

中村獅童の幼少期と名門の苦難|母・陽子さんと歩んだ下積み真相

中村獅童の幼少期と名門の苦難|母・陽子さんと歩んだ下積み真相の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

歌舞伎の舞台に初めて立ったのは1981年6月、昭和56年の歌舞伎座でした。祖父の名跡を継ぎ、二代目中村獅童を名乗っての初舞台(演目『妹背山婦女庭訓』の酒買い丁稚役など)は、わずか8歳という若さでした。しかし、この初舞台の経緯を振り返ると、華やかなお披露目とはほど遠い現実が待ち受けていました。

通常の御曹司であれば、初舞台以降も年相応の重要な役(劇場の見せ場となる子役)が次々と割り振られます。しかし獅童の場合、舞台に引き上げてくれる親が座頭にいないため、番付(配役表)の上位に名前が載ることはありませんでした。当時の歌舞伎界において、役がつかない若手は「名題下(なだいした)」と呼ばれ、通行人や兵卒、腰元といった台詞のほとんどない端役を務めながら、楽屋の手伝いや雑務をこなす日々を送ります。

後年の自著や回顧インタビューにおいて、獅童は当時の屈辱的な下積み時代のエピソードを赤裸々に明かしています。

「楽屋に行っても自分の鏡台すらまともに置く場所がない。他の御曹司たちが専用の個室を与えられ、ちやほやされる傍らで、大部屋の隅に小さく座り、諸先輩方の草履を揃えたり着替えを手伝ったりしていた。舞台に立てても、顔を真っ白に塗って槍を持って何十分も微動だにせず立っているだけ。『お前は親父が舞台にいないんだから役がつくわけがない』と冷酷に言い放たれたこともあった」

名門の血を引きながら、現場では最下層の扱いを受ける日々。思春期を迎えた幹弘少年の心には、伝統芸能の不条理な格差に対する激しい反骨心が芽生えていきました。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。