近年のSNSや読書コミュニティにおける反応を調査すると、セリヌンティウスに対して「あまりにも不憫」「友情という名の暴力ではないか」といった率直な意見が多数見受けられます。
特に指摘されるのが、牢獄で待たされる側の圧倒的な精神的負荷です。走る側のメロスは体を動かし、困難(濁流や山賊)と直接戦うことで能動的に時間を消化できます。しかし、牢獄に繋がれたセリヌンティウスにできるのは「ただ待つこと」のみ。刻一刻と迫る処刑時刻、冷たい牢壁の感触、王の嘲笑、そして外の天候の悪化——これらは受動的な拷問に等しいストレスを与え続けます。
テキストを精読すると、セリヌンティウスは最初から最後まで聖人君子のように信じ切っていたわけではないことが分かります。3日目の日没直前、刑場に引き出され、磔(はりつけ)の柱に縛り付けられた瞬間、彼の心にも「メロスは来ないのではないか」「自分は見捨てられたのではないか」という暗い疑念と絶望が一瞬よぎったことが、終盤の告白によって明かされます。