竪穴式住居の次はどんな住まい?平安まで使われた真相と日本の住宅史変遷

竪穴式住居の次はどんな住まい?平安まで使われた真相と日本の住宅史変遷

竪穴式住居の次はどんな住まい?平安まで使われた真相と日本の住宅史変遷についての疑問解決ガイドを徹底解説します。

平安時代といえば、優雅な「寝殿造」の庭園に池を配し、貴族が蹴鞠に興じる優美な世界を連想する人が大半です。しかし、この寝殿造を享受できたのは、当時の日本人口およそ500万人〜600万人のうち、都の上級貴族層わずか数千人、割合にして人口の0.1%にも満たない特権階級に過ぎません。

ネット上の歴史コラムでは往々にして「平安時代の住まい=寝殿造」と短絡的に説明されがちですが、当時の実態は驚くべき超・格差社会でした。

平安時代の庶民の住まいをリアルに描き出した絵巻物『信貴山縁起絵巻』や『伴大納言絵巻』を子細に観察すると、都の庶民ですら柱を粗末に埋め込んだ掘立柱の板葺き・草葺き小屋に肩を寄せ合って暮らしており、壁は吹きさらしの網代(あじろ)や薄い板切れで囲われているに過ぎません。地方に行けば、前述の通り地面に潜り込む竪穴式住居の集落がどこまでも広がっていたのです。

「竪穴式住居は原始人の住まい」というレッテル自体が後世の偏見であり、庶民の住宅史という観点から見れば、平安時代中頃までは竪穴式住居こそが日本人の暮らしの真のスタンダードでした。寝殿造のような床の高い開放的な住居は、貴族の儀礼と権威誇示のための非日常空間であり、断熱性も気密性も最悪で、冬場は貴族たちも幾重にも着物を重ね着して寒さに震えていたことが貴族の日記にも克明に綴られています。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。