『イギリス組曲』を深く理解する上で欠かせないのが、20世紀から現代に至る巨匠たちの名盤比較です。とりわけ対極のアプローチを示した2つの録音は、現代のバッハ解釈の金字塔として君臨しています。
まず外せないのが、カナダの異才グレン・グールドが遺した録音(1970年代録音、Sony Classical)です。グールドの演奏は、ペダルをほぼ一切使わず、研ぎ澄まされたノン・レガート奏法によって各声部をレントゲン写真のように明瞭に浮き彫りにします。独特の唸り声とともに疾走する第2番や第3番のプレリュードは、推進力とリズムの峻烈さにおいて他の追随を許しません。
これに対し、ハンガリー出身の世界的巨匠アンドラーシュ・シフの録音(ECM盤および旧Decca盤)は、現代ピアノの豊かな表現力を極限まで活かした歌心にあふれています。シフはバッハの様式美を完璧に遵守しながらも、繊細なアゴーギク(微妙なテンポの揺らぎ)と多彩なタッチの変化を駆使し、バロック舞曲の優雅さと深い精神性を両立させています。特にサラバンドで見せる深い内省と、反復部で施される即興的な装飾音の妙技は圧巻の一言です。
まずはグールドの鋭角的なポリフォニーで骨格を捉え、シフのカンタービレで陰影を味わう――この2枚を聴き比べるだけでも、バッハの楽曲解説を何冊も読む以上の深い洞察が得られるはずです。