若き日に三遊亭楽太郎として入門した彼にとって、師匠である五代目三遊亭圓楽は絶対的な太陽であり、超えるべき巨大な壁だった。落語協会を脱退して創設された「円楽一門会」。寄席の定席に出られないというハンデを背負いながら、六代目は一門の看板を守り抜くために東奔西走を続けた。
自らプロデューサーを買って出て、博多落語まつりなどの巨大フェスを立ち上げたのも、一門の弟子たちや地方の落語ファンに本物の芸を届けるためだった。後年には落語芸術協会の客員となり、分断されていた落語界の垣根を取り払うパイプ役を買って出る。師匠から受け継いだ大きな看板に甘んじることなく、自らの汗と泥でその価値を高め続けたのである。