旧古河邸を訪れた人々が最も不思議に思うのが、大谷美術館と旧古河庭園の関係です。看板やパンフレットを見ると、庭園の管理主体は「東京都(指定管理者:公益財団法人東京都公園協会)」であるのに対し、洋館の管理・公開主体は「公益財団法人大谷美術館」と明記されています。この公私分担の構造を理解するには、明治から昭和にかけての旧古河邸と古河財閥の歴史と経緯を辿る必要があります。
もともとこの地は、明治の元勲・陸奥宗光の本邸でした。宗光の次男が古河財閥の創業者一族である古河市兵衛の養子となった縁から古河家の所有となり、古河財閥3代目当主・古河虎之助の本邸として大正6年(1917年)に現在の洋館と庭園が整備されました。しかし、太平洋戦争の終戦に伴う財閥解体と財産税の物納により、邸宅は国の所有へと移ります。戦後は米軍将校の宿舎として接収されたものの、返還後は約30年間にわたり事実上放置され、屋根は抜け落ち、壁は崩落、地元住民から「お化け屋敷」と呼ばれるほど荒廃の一途をたどっていました。
昭和31年(1956年)、東京都が国から土地を借り受けて「都立旧古河庭園」として開園したものの、莫大な修復費がかかる洋館の再生は行政の手が及ばず暗礁に乗り上げていました。そこで立ち上がったのが、ホテルニューオータニの創業者であり、大谷重工業を率いた実業家・大谷米太郎による旧古河邸保存運動でした。大谷米太郎は私財を投じて洋館の修復工事に着手し、約6年もの歳月と当時の技術の粋を結集して、創建当時の姿を忠実に復元させたのです。この功績により、修復完了後は大谷米太郎が設立した公益財団法人大谷美術館が洋館の維持管理と一般公開を担う権利を得て、現在に至る公民連携の形態が確立されました。