世間では長年、「いかりや長介のワンマン体制による独裁」「ギャラの不平等分配」といった噂がまことしやかに囁かれてきました。実際にドリフターズのギャラ配分は、リーダーのいかりやが4割、残りのメンバーがそれぞれ1割強といった比率であったことが、後年のいかりや自身の著書『だめだこりゃ』(新潮文庫)やテレビ特番でも赤裸々に語られています。
しかし、当時の現場の内情を丹念に検証すると、単なる金銭的独占とは全く異なる過酷なリアリティが浮き彫りになります。ネタの構成案を毎週提出し、日本テレビの『コント55号の裏番組』として始まった『全員集合』を絶対に負けさせないため、すべての責任といかりや一人が背負い込んでいたからです。
関係各所との折衝、作家陣との徹夜の台本直し、セットの安全管理からクレーム対応まで、文字通り命を削って番組をプロデュースしていたのはいかりやでした。加藤茶や高木ブーは後年、手記やインタビューで次のように語っています。
「長さんが全部の責任を引き受けて泥をかぶってくれたからこそ、僕らは舞台の上で何の心配もなく自由にバカをやることができた。長さんの取り分が多いのは当たり前だった」(加藤茶)
ネット上の掲示板やSNSでは時折「メンバー間の不仲説」が面白おかしく取り沙汰されますが、彼らを結びつけていたのは単なる仲良しグループではなく、職人同士の絶対的な信頼関係でした。分裂騒動で小野ヤスシらと袂を分かった痛烈な原体験があったからこそ、いかりやは徹底したプロフェッショナリズムによる組織運営を貫いたと言えます。