刑事裁判のニュースに接する際、多くの人が無意識に陥る最大の落とし穴が「警察が動いたのだから、この人物はクロに違いない」という思い込みである。しかし、法治国家における大前提として、推定無罪の原則(Presumption of innocence)は、国家権力が個人を恣意的に処罰することを防ぐための最強の盾として機能している。
法廷で飛び交う有名な法格言に「疑わしきは被告人の利益に(In dubio pro reo)」がある。これは、検察官が提出した証拠を精査した結果、裁判官の心証において「十中八九犯人だろう」と思える場合であっても、合理的な疑い(常識に照らして残る疑問)が完全に晴れない限り、有罪にしてはならないという鉄則を指す。
この理念の法的な根拠は、日本国憲法および国際条約に明確に刻み込まれている。
憲法第31条が定める「適正手続の保障(デュー・プロセス・オブ・ロー)」を基礎とし、憲法第37条の公平な裁判を受ける権利、さらには刑事訴訟法第336条の「罪とならないとき、又は犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」という規定によって担保されている。日本が批准している国際人権規約(自由権規約)第14条2項にも「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する」と厳格に明文化されているのだ。
かつて権力者が気に入らない市民を「疑わしい」という理由だけで投獄し処刑してきた暗黒の歴史を経て、近代司法は「たとえ10人の真犯人を逃すことがあっても、1人の無実の人間を罰してはならない」という価値観を選択した。推定無罪とは、単なる容疑者への温情ではなく、無辜(むこ)の市民全員を守るために人類が数百年かけて獲得した知恵である。