「なぜ自分は存在するのか」という根源的な問いを抱いたとき、まず知るべき残酷かつ救いとなる事実は、「人間には生まれつき決められた取扱説明書や目的など最初から用意されていない」ということです。フランスの実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトルはこれを「実存は本質に先立つ」という有名な命題で表現しました。ハサミやスマートフォンなどの道具は「物を切る」「通信する」という明確な目的(本質)を持って作られますが、人間は何の目的も持たずにこの世界にまず放り出されます。
つまり、「生まれてきた意味がわからない」と苦しむのは、あなたの感覚が正常に機能している証拠に他なりません。最初から決まったレールが存在しないからこそ、白紙のキャンバスを前にして途方に暮れてしまうのです。あらかじめ決められた生きる目的がないということは、裏を返せば「何者かにならなければならない義務は最初から課されていない」という究極の自由を意味します。
ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医ビクトール・フランクルは、著書『夜と霧』のなかでコペルニクス的転回とも呼べる思想を残しました。「われわれが人生の意味を問うてはならない。われわれが人生から問われているのだ」と。自分が何か大きな意味を探しに行くのではなく、日々直面する出来事や目の前の人、一輪の花や一杯の温かいお茶から「あなたはどう応えますか?」と問いかけられていると捉え直すことで、張り詰めた肩の荷は一気に下りるはずです。