占守島の戦いの真相|北海道分断を阻止した士魂部隊と樋口中将の決断

占守島の戦いの真相|北海道分断を阻止した士魂部隊と樋口中将の決断

占守島の戦いの真相|北海道分断を阻止した士魂部隊と樋口中将の決断にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

占守島に配備されていた日本軍部隊の中で、中核的戦力となったのが「戦車第十一連隊」です。十一の文字を組み合わせると「士」になることから通称「士魂部隊」と呼ばれ、厳格な訓練と高い士気で知られた機甲部隊でした。上陸を許した占守島北端の国後富士(四嶺山)周辺では、すでに奇襲を受けた日本軍警備隊が孤軍奮闘しつつも圧迫され、主陣地の陥落が迫っていました。

連隊長であった池田末男大佐(戦死後に少将)は、出撃に際して連隊の将兵を前にこう告げたと生存者の手記に記録されています。「我らは今、赤穂浪士の心境である。事ここにいたっては、大義のために散るほかない」。池田大佐は自ら先頭の九七式中戦車に搭乗し、上半身をハッチから乗り出して日章旗を振るいながら、未明の霧の中を突撃しました。

対するソ連軍は、アメリカからレンドリース(武器貸与法)で供与された対戦車ライフル(PTRD41)や迫撃砲を多数陸揚げしており、濃霧の中で激しい十字砲火を浴びせました。戦車隊は履帯を切断され、装甲を貫通され炎上しながらも前進を続け、敵の上陸拠点を次々と粉砕していきました。この肉弾相打つ猛攻によってソ連軍先鋒部隊は大混乱に陥り、四嶺山の稜線は両軍の遺体で埋め尽くされる修羅場と化しました。

池田連隊長は自車が被弾炎上する中で壮絶な戦死を遂げましたが、士魂部隊の決死の反撃によってソ連軍の内陸進出は完全に阻止され、海岸線への後退を余儀なくされました。

中島 亮太
著者

中島 亮太

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