デヴィ夫人を取り巻く最大の誤解が、「スカルノ大統領が残した莫大な遺産で一生安泰に暮らしている」という言説です。しかし、近現代史の事実関係と本人の手記を照らし合わせると、この噂は事実と大きくかけ離れています。
1965年にインドネシアで発生した軍事クーデター(9・30事件)により、スカルノ大統領はスハルト少将によって事実上失脚し、大統領の座を追われました。その後、大統領は軟禁状態に置かれ、1970年に失意の中で病没しています。この政変に伴い、大統領名義の資産の多くは凍結または新政権によって接収されており、デヴィ夫人の手元に潤沢な国家レベルの遺産が残されたわけではありませんでした。
当時、娘のカリナ氏を連れてフランス・パリへ亡命を余儀なくされたデヴィ夫人は、自活のために過酷な環境を生き抜く必要がありました。自著や過去のインタビューでも、彼女は次のように赤裸々に述べています。
「大統領の遺産で暮らしているなどというのは全くの嘘。政変後、私は着の身着のままで逃れ、パリで自力で娘を育て上げました。社交界で築いた人脈を通じて絵画の仲介や不動産の取引を行い、自分の才覚で稼いだお金で今日まで生きてきたのです」
パリ社交界で「東洋の真珠」と称賛されながらも、貴族や富豪とのネットワークを活かして美術商としての実績を積み、独自のビジネス基盤を築き上げたことこそが、現在の富の原点です。「他人の遺産に頼ったセレブ」ではなく、「国際ビジネスの修羅場を潜り抜けた自立した実業家」というのが、歴史的な真実です。