試合直後、世間の反応は二極化しました。スタンドや一部のファンからは「高校生があそこまで投げ合ってきたのに、なぜ審判が試合を終わらせるのか」「あまりに酷な誤審ではないか」という審判団への激しいバッシングが巻き起こりました。林審判員の自宅には抗議の電話や手紙が殺到し、同氏は精神的にも過酷な試練を背負うことになります。
一方、敗戦投手となった藤田修平投手もまた、深い心の傷を抱えました。翌年の3年夏は山口大会の決勝で敗れ、甲子園の土を再び踏むことは叶いませんでした。卒業後は亜細亜大学へ進学し、軟式野球等で白球を追い続けた後、一般企業へ就職して社会人としての道を歩み始めました。
年月が経過した2010年代、スポーツドキュメンタリー番組の企画を通じて、藤田氏と林審判員は運命の再会を果たします。
対面した際、藤田氏は「あのボークがあったからこそ、自分は人生のあらゆる困難から逃げずに立ち向かうことができた。あの判定は間違いなく正しいものでした」と頭を下げ、林氏へ感謝を伝えました。林審判員もまた、目に涙を浮かべながら若者の成長した姿を受け止め、20年以上の時を経て「甲子園の悲劇」は「人生の尊い糧」へと昇華されたのです。