1983年、落語界に激震が走った。立川談志が「落語協会」を電撃脱退し、自ら「落語立川流」を立ち上げた事件である。年功序列や密室での昇進人事という旧態依然とした体制に決別を告げ、昇進試験制度や上納金システムを導入。この前代未聞の行動は、当時「我まま」「界隈の破壊者」と猛烈な批判を浴びた。
しかし、彼の真の狙いは組織の破壊ではなく、落語という文化の自立と質の担保だった。弟子が真打に昇進するための条件として、一定数の古典落語の習得だけでなく、歌舞伎や都々逸、さらには現代教養の修得まで課した。芸人がただの世渡り上手であってはならない。本物のプロフェッショナルを育てるための実験場、それこそが立川流であった。伝統を守るために伝統の破壊者になるというジレンマを、彼は命がけで引き受けたのだった。