一揆勢の象徴として担ぎ出されたのが、キリスト教の洗礼名「ジェロニモ(あるいはフランシスコ)」を持つ少年、天草四郎(本名:益田四郎時貞)です。蜂起当時、わずか16歳前後だったとされる美少年が、なぜ老練な武士たちを含む3万7,000人もの大集団を統率できたのか。これには周到に計算された「神格化のプロパガンダ」が機能していました。
当時、キリシタンの間では、かつて追放された宣教師ママコスが残したとされる「25年後に天童が現れ、信徒を救済する」という予言書が密かに流布していました。この予言の時期に合致したのが四郎でした。手の上に止まった小鳥が産んだ卵からキリストの画像が現れたといった奇跡の噂が意図的に広められ、絶望の淵にいた農民たちは彼を「救世主」として熱狂的に迎え入れたのです。
しかし、実際の軍事指揮を執っていたのは16歳の少年単独ではありません。四郎の父である益田好次をはじめ、関ヶ原の戦いで改易されたキリシタン大名・小西行長や加藤清正の旧臣といった歴戦の牢人(武士)たちが一揆の参謀本部に陣取っていました。彼らは農民たちを小隊ごとに編制し、武器の配備や城郭の補修、通信ネットワークを構築。卓越した戦術指導を行ったからこそ、一揆軍は単なる暴徒にとどまらず、正規軍を壊滅させるほどの組織戦闘力を発揮したのです。