六ヶ所村の評判を考える上で欠かせないのが、村内に住む人々の複雑な心情だ。村には日本原燃や関連企業で働く人が多く、原子力施設は最大の雇用主である。雇用と経済的安定を歓迎する声がある一方で、再処理工場の安全性や事故リスクに不安を抱える住民も少なくない。特に、2008年に六ヶ所村を舞台にしたドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』が公開されて以降、国内の関心は大きく高まった。映画では、反対派住民と推進派住民が同じ村の中で分断され、家族や隣人同士が本音を語り合えない空気が描かれた。
実際、SNSや匿名掲示板の声を検証すると、「村内では再処理の話題を避ける空気がある」「反対の立場を表明すると仕事や地域の付き合いに影響する」といった投稿が散見される。こうした分断は「犠牲のシステム」と呼ばれる構造と無縁ではない。日本の原子力政策が地方に施設を集中させる一方で、立地地域には経済的見返りが与えられる。住民は雇用と引き換えにリスクを受け入れる立場に置かれ、反対の声は地域内で封じ込められやすい。社会学的に見れば、これは「地域社会における同調圧力の強化」と「リスクの外部化」が重なった状態であり、六ヶ所村は日本社会の縮図とも言える。
一方で、若い世代の中には「村に残る選択肢が少ない」「核燃以外の産業が乏しい」という声もある。村は観光や再生可能エネルギーなど新産業の振興に力を入れるが、核燃関連の存在感には遠く及ばない。六ヶ所村は人口減少と高齢化を緩和するために核燃に依存せざるを得ないが、その核燃自体が将来にわたって存続できるか不透明という二重のジレンマを抱えている。