終戦後の1947年、ジャニー喜多川は姉のメリー喜多川らと共に再び海を渡り、生まれ故郷であるロサンゼルスへ戻ります。現地の高校(ロサンゼルス・シティ・ハイスクール)を経てロサンゼルス・シティ・カレッジに進学。この青年期こそが、後のエンターテインメントビジネスの礎を築いた決定的な時期でした。
ロサンゼルス時代、父が主監を務めていた真言宗別院には、美空ひばりや笠置シヅ子、三木のり平など、渡米公演を行う日本のトップスターたちが次々と立ち寄りました。ジャニー喜多川はこの劇場公演の舞台設営や通訳、マネジメント補佐を担当し、本場のショービジネスの熱気とプロの舞台裏を肌で体感することになります。
さらに特筆すべきは、朝鮮戦争(1950〜1953年)における軍歴です。アメリカ国籍(二重国籍)を保持していた彼は米陸軍に召集され、情報部隊の語学要員として朝鮮半島へ派遣されました。戦地では最前線の戦闘員ではなく、板門店での通訳業務や、現地の戦災孤児たちに英語を教える教官任務に従事したと記録されています。この軍隊経験を通じて身につけた英語力と組織統率力、そして米軍ネットワークが、再来日後のキャリアを大きく切り拓く武器となりました。