作中随一の善人として描かれるフドウですが、その前半生はまさに血塗られた暴虐そのものでした。身寄りがなく、自らの命の重みを知らずに育ったフドウは、他者の命を「蛆虫(うじむし)」のように見下し、暴虐の限りを尽くす無法者として恐れられていたのです。当時の彼を知る人々は、畏怖を込めてその名を鬼のフドウと呼びました。
その残虐性を象徴するのが、若き日のラオウが目撃した北斗神拳道場への襲撃事件です。巨体を揺らして道場に乱入したフドウは、修行生たちをまるで小枝を折るかのように容赦なく惨殺していきました。当時からすでに圧倒的な才覚と剛力を誇っていた少年期のラオウですら、血に飢えたフドウの狂気と底知れぬ質量を前にして、全身の震えを止めることができず、ただ立ち尽くすことしかできなかったのです。
ラオウが恐れた理由は、単なる身体能力の差ではありませんでした。武道家としての誇りや生への執着、死への恐れすら一切持たず、純粋な破壊衝動だけで生きる怪物の「感情の欠如」に、人間としての本能的な危機感を抱いたからに他なりません。このときに刻み込まれた恐怖の原体験こそが、のちに世紀末覇者となったラオウの心の奥底に、決して消えないトゲとして残り続けることになります。