連載完結後ではなく現在進行形の作品において、なぜここまで「死亡」という誤った検索トレンドが定着したのか。そこには作中描写のリアリティと読者の心理的メカニズムが複合的に絡み合っています。
第1の理由は、受けた傷の致死性です。出血量や外傷の深さは、同じく作中で散っていった名将たち(王騎、麃公、蒙武の好敵手たち)の最期と同等、あるいはそれ以上に過酷なものでした。少年漫画的な奇跡が起きなければ生存が不可能なレベルの重症度であったことが、「生き残っているはずがない」という先入観を生みました。
第2の理由は、週刊連載時における休載と場面転換の巧みさです。バジオウが倒れた直後、視点は壁(へき)将軍やフィゴ王ダントらの戦線、さらには朱海平原の信や王賁たちの戦いへとスイッチしました。バジオウの生死が明確に描かれない期間が数週間にわたって続いたため、ファンのコミュニティ間では「追悼ムード」が先行して拡散してしまった歴史があります。
第3の理由は、まとめサイトやSNSの切り抜きによる情報の断片化です。「バジオウ最後の手桶」「楊端和を守って散る」といった誇張された見出しや、血まみれで事切れたように横たわるコマ画像のみが一人歩きし、第54巻第575話「羊たちの祈り」で包帯を巻かれ呼吸を取り戻している決定的な場面を見落とした層が検索を重ねたことが原因です。