古くから民間伝承やスピリチュアルな言説において、神社参拝時の体調不良は「神様に歓迎されていないサイン」の代表格として語られてきました。女性向けポータルサイトやネットのオカルト解説記事では、「突然の天候悪化」「急激な体調不良」「参道での転倒や怪我」「忘れ物や道迷い」などを挙げて「神様から参拝を拒絶されている」と不安を煽るケースが散見されます。
しかし、神職への取材や神社本庁が示す神道教義において、神様が特定の参拝者を毛嫌いして意図的に体調を崩させるという教えは存在しません。神社で祈願される主要な祝詞の一つに「病気平癒」があることからも明らかなように、神社は古来、病に苦しむ人々が快復を祈り、神々の生命力(産霊=むすびの力)を授かるための救いの場として機能してきました。
ここで混同されがちなのが、神道における「穢れ(けがれ)」の概念です。神道では古来、死、疫病、流血などを一時的な禁忌として扱ってきましたが、これは道徳的な悪や神の怒りを意味するものではありません。語源は「気枯れ(きがれ)」、すなわち人間が日々の労働や過労、心労によって生命の活力を消耗し、気が枯れ果てた状態を指します。
気が枯れた状態で無理に遠出し、長時間の歩行や石段の昇降を伴う参拝を行えば、身体が限界を迎えて倒れるのは自明の理です。昔の人々は「気が枯れた状態では無理をせず、まずは家で心身を休め、元気を養ってから清々しい心で神前に進みなさい」という知恵を、参拝マナーや忌みのルールとして残しました。神様が参拝者を突き放しているのではなく、「今は立ち止まって身体を休めるときである」という自身の心身からのシグナルと捉えるのが、伝統的な神道の精神に合致した正しい理解です。