Jr四国みの駅の謎と真実|改称理由から最新アクセス・観光価値を徹底解剖

Jr四国みの駅の謎と真実|改称理由から最新アクセス・観光価値を徹底解剖

Jr四国みの駅の謎と真実|改称理由から最新アクセス・観光価値を徹底解剖の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。

香川県三豊市三野町下高瀬に位置する「みの駅」のルーツは、昭和中期の地域住民による熱心な請願運動に遡ります。1952年(昭和27年)1月27日、日本国有鉄道(国鉄)予讃本線の新駅として産声を上げた当時の駅名は「高瀬大坊(たかせだいぼう)駅」でした。この名称は、近隣に位置する四国八十八箇所第71番札所・弥谷寺(いやだにじ)の通称である「大坊さん」や、周辺の大坊地区の地名に深く根ざしたものでした。

転機が訪れたのは、国鉄分割民営化を経てJR四国へと継承された後の1994年(平成6年)12月3日です。当時の香川県三豊郡三野町(現在の三豊市三野町)は、町の知名度向上と地域活性化を強力に推進していました。町当局および地元商工関係者らは「町外からの来訪者にとって、行政名である『三野町』と駅名が一致していないことが観光振興上の障壁になっている」と指摘。さらに、漢字表記の「三野」では他地域の同名地名との混同を招きやすいことから、柔らかく親しみやすいひらがな表記の「みの駅」への改称を強く要望したのです。

鉄道史の観点から見ても、この改称は極めて先駆的な決断でした。当時、全国各地で地域のイメージ刷新を狙った「ひらがな駅名」の新設が話題を集め始めていましたが、既存の由緒ある国鉄由来の漢字駅名をひらがな3文字へと変更した事例は、JR四国管内において史上初の快挙でした。平成の大合併(2006年)によって三豊市となった現在も、かつての三野町の誇りとアイデンティティを象徴するランドマークとして、その平仮名駅名は大切に受け継がれています。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。