作中で鮮烈なコントラストを描くのが、双子の魔女である湯婆婆と銭婆の違いです。二人は外見が瓜二つでありながら、生き方と価値観が対極に位置しています。
湯婆婆は油屋という巨大資本の経営者であり、利益と効率、契約を絶対視する冷徹な支配者です。一方で、契約を守る者には労働の機会を与え、筋を通す義理堅さも持ち合わせています。対する銭婆は、人里離れた「沼の底」で質素な自給自足の暮らしを営み、千尋たちに手仕事の温もり(糸紡ぎ)を教える存在です。この二人は、資本主義的な欲望の肥大化と、地に足のついた実質的な生活という人間の二面性を象徴しています。
また、坊と湯婆婆の関係性は、過保護・過干渉による母子癒着の典型例です。病気を恐れて暗い部屋に閉じ込められていた巨大な赤ん坊「坊」は、銭婆の魔法でネズミの姿に変えられ、千尋の旅に同行することで初めて自力で歩くことを学びます。外界の過酷さを知ることで、最終的に母・湯婆婆に対して自立した一人の個として意見を言えるまでに成長しました。
そして、誰しもが心を奪われるカオナシの正体は、自らの言葉や意志を持たず、他者を取り込むことでしか存在をアピールできない「空虚な自己承認欲求」の塊です。油屋では金鉱の偽金をばらまいて他者の歓心を買おうと暴走したカオナシが、千尋の無欲さに拒絶され、銭婆の静かな家でお茶を飲み、機織りの手伝いという「役割」を得て穏やかさを取り戻すプロセスは、居場所と承認を求める人間の本質を突いています。