不死身の分隊長・舩坂弘の真実|アンガウル生還劇と渋谷大盛堂書店の奇跡

不死身の分隊長・舩坂弘の真実|アンガウル生還劇と渋谷大盛堂書店の奇跡

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1944年9月、米第81歩兵師団が上陸を開始したパラオ諸島アンガウル島。当時、陸軍歩兵第59連隊第1大隊第1中隊の擲弾筒分隊長として配備されていたのが、当時24歳の舩坂弘軍曹でした。米軍兵力約2万2,000人に対し、迎え撃つ日本軍守備隊は約1,200人。圧倒的な物量差のなかで始まったアンガウル島の戦いは、凄惨を極める持久戦へと突入します。

舩坂弘の戦闘力は、部隊内でも群を抜いていました。擲弾筒の名手であり、九九式短小銃による狙撃、銃剣術や柔道などの近接格闘においても卓越した技術を誇っていました。戦闘初頭から擲弾筒を駆使して米軍部隊に甚大な打撃を与え、小銃で多数の敵兵を倒した記録が残されています。

しかし、連日にわたる米軍の猛砲撃と空爆により、守備隊は次第に壊滅へと追い込まれます。その激戦の最中、舩坂弘は至近距離で炸裂した砲弾によって左大腿部を裂傷し、米軍の機銃掃射で腹部に盲貫銃創を負うなど、全身200箇所以上の破片創を被りました。腹部の傷からは腸が露出するほどの重傷であり、常識的には即死または数時間以内にショック死するレベルの状態でした。

舩坂弘自身が後年に記した手記『英霊の絶叫―玉砕島アンガウル戦記』によると、激痛と失血で意識が朦朧とするなか、露出した腸を手で押し込み、日章旗の鉢巻で腹部を固く縛り上げて出血を抑えながら、洞窟内を這って移動したと克明に綴られています。この超人的な生存執念こそが、後に語り継がれる不死身のエピソードの起点となりました。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。