江波山気象館が国内外の研究者や見学者から特別な敬意を集める最大の理由は、建物そのものが歴史の証人である点にあります。1934年(昭和9年)に「旧広島地方気象台」の庁舎として竣工したこのモダニズム建築は、1945年8月6日午前8時15分、爆心地から南南西約3.7kmの小高い山頂で被爆しました。
爆風は江波山の斜面を駆け上がり、庁舎南東側の窓ガラスを粉砕。館内保存エリアのコンクリート壁や木製書棚には、時速数百キロで飛散したガラス片が無数に突き刺さった痕跡が、80年以上経った現在もそのままの状態で保存されています。外壁に残る亀裂や、凄まじい風圧で内側に湾曲した金属製の窓枠、歪んだ鉄扉は、爆心地から約4km離れた地点ですらどれほど苛烈な破壊力に晒されたかを雄弁に物語っています。
「たとえ自らの血が流れようとも、気象の記録を途絶えさせてはならない――」。当時の気象台職員たちが遺した手記や証言録には、極限状態における崇高なプロフェッショナリズムが克明に刻まれています。自身もガラス片で負傷しながら、即座に気象観測機器の破損状況を点検し、同日午前9時には被爆後初となる気象観測を実施。さらに、壊滅した市街地から立ち上る黒煙と火災旋風、そして後に放射能を含んでいたことが判明する「黒い雨」の降雨域と降雨時間を分単位で記録し続けました。
この日の気象記録は、後に原爆被害の全貌や放射性降下物の影響範囲を解明する上で、世界中で唯一無二の科学的一次データとなりました。「空の真理を追究する科学館」の足元に、「空から破滅がもたらされた日の記憶」が刻まれている。この二重性こそが、江波山気象館が他の科学系ミュージアムと決定的に異なる魂と言えます。