かつて造船所や造兵廠が立ち並んでいた湾岸地帯。そこに新たな息吹を吹き込み、未来都市へと変貌させた国家プロジェクトが「横浜みなとみらい21」構想だった。この広大な再開発エリアに、娯楽と夢の拠点を築き上げるという壮大なビジョンを描いた人物こそ、遊具メーカーの雄「泉陽興業株式会社」の創業者・山田正一である。
博覧会という一時的なブームで終わらせず、都市のランドマークとして永続する遊園地を創る——。山田の強い執念と先見の明が、1989年の横浜博覧会(YES'89)におけるコスモクロック21の建設へと結実した。一時的な設置予定だった観覧車が、市民や訪れる人々の熱烈な愛着によって現在の場所へ移設され、恒久的なシンボルへと昇華を遂げた歴史は、都市開発の文脈においても極めて稀有な成功物語として語り継がれている。