現役引退後、天理大学柔道部を常勝軍団へと育て上げた篠原は、2008年に柔道男子日本代表監督に就任しました。世界選手権で複数の金メダリストを輩出するなど指導者としての手腕を発揮したものの、最大の試練となったのが2012年ロンドンオリンピックでした。
日本男子柔道は伝統的に「全階級での金メダル獲得」を至上命題とされてきましたが、ロンドン大会では銀メダル2個、銅メダル3個にとどまり、男子柔道史上初となる「金メダルゼロ」という歴史的敗北を喫してしまいます。
メディアや一部世論からの猛烈な批判が集中する中、篠原は大会終了直後にきっぱりと引退・監督辞任を表明。「選手たちは全力を尽くした。勝たせてやれなかったのはすべて監督である私の責任」と語り、弁解することなく重責を一身に背負って身を引きました。
この潔い退陣と、彼が残した強化方針の課題検証があったからこそ、後任の井上康生監督体制における科学的トレーニング導入や劇的な日本柔道復活(リオ五輪、東京五輪での金メダルラッシュ)へと繋がったと、柔道界内部でも高く評価されています。