吉井和哉の人生を語る上で欠かせないのが、THE YELLOW MONKEYがブレイクする以前の貧困時代から彼を物心両面で支え続けた前妻の存在です。二人はバンド結成初期の1992年頃に入籍。当時の吉井和哉は音楽活動だけでは生計が立たず、前妻が生活費を支える過酷な下積み生活を送っていました。その間、前妻との間には1男3女の計4人の子供が誕生しています。
しかし、1990年代半ばから巻き起こった爆発的な「イエモン旋風」が、家族の日常を激変させます。ツアーやレコーディングで家を空ける日々が続き、富士山の麓に建設した豪邸に家族を残しながらも、吉井和哉自身はロックミュージシャンとしての放蕩や孤独、プレッシャーに苛まれていきました。2007年に上梓された自伝『失われた愛を求めて』の中で、彼は当時の精神的荒廃や、良き父親・夫であり続けられなかった自責の念、女性関係の過ちについて極めて赤裸々に告白しています。
やがて家族との別居生活が常態化し、2002年前後に正式な離婚に至りました。離婚理由の核心は、家庭という枠組みに収まりきらなかったロックスターとしてのエゴイズムと精神の彷徨にありました。ただし、吉井和哉は自らの非を認め、前妻に対して富士の豪邸を譲渡し、子供たちの養育費や生活費に関しても破格の経済的補償を継続して誠意を尽くしました。前妻への感謝と敬意を終生忘れず、子供たちとの面会や良好な親子関係を絶やさなかったことが、のちの円満な家族関係へとつながっています。