治承・寿永の乱(源平合戦)のクライマックスとなった1185年の壇ノ浦の戦い。平家一門は滅亡したと史書には記されていますが、生き残った武将や女官たちは追手を逃れ、全国各地の険峻な山岳地帯へと落ち延びました。その代表格が、平家の里が位置する湯西川温泉や、九州・宮崎県の平家落人の里 椎葉村です。
湯西川に伝わる記録によると、平清盛の孫にあたる平忠房の一行が、会津へと抜ける険しい山道を越えてこの地にたどり着いたとされています。周囲を急峻な山々に囲まれた地形は、外部からの侵入者を拒む天然の要害でした。傷ついた兵士たちが河原に湧き出るいで湯を発見し、身を癒やしながら定住を決意したことが、現在の温泉街の起源と伝えられています。
過酷な隠遁生活の中で、落人たちは正体を隠すために厳格な掟を定めました。「朝を告げる鶏の声で居場所が露見しないよう鶏を飼わない」「源氏の白旗を連想させるため端午の節句に鯉のぼりを揚げない」「焚き火の煙を立てない」など、今なお地域に残る数々の禁忌は、生き残りをかけた切実な平家落人伝説の真相と歴史背景を物語っています。